目次
kevinって何者?

- 茨城県出身
- バイリンガル
- ダンサー
- マインドフルネス講師
こんな人です。
簡単な生い立ち、自己紹介をさせていただきます。
まあカンタンに説明すると、「ごく普通の男がダメダメな人生を送ってきましたとさ」で終わる話ですがw
お暇な方はご覧くださいまし。
育った環境=機能不全家庭

まず父子家庭で育ちました。
母親は物心ついた時からおらず。
唯一の手掛かり?は幼いころから消えない記憶。
女の人が家の玄関から出ていく。僕は父の腕に抱かれたままただそれを見ていた。
そんな光景。
それと、つい最近になってから戸籍謄本で名前だけ知りました。顔もわからないし話したことなど当然ない。僕は母親というものをまったく知らないのです。
父は相当に厳しい男でした。
一度も褒められた記憶もありませんし僕の存在を承認してくれたんだなあと思う瞬間もありませんでした。
記憶の限りでは常に
- お前はバカ
- お前は能無し
- ノロマ
- カンタンなこともできないヤツ
- いくじなし
みたいに要するに怒られていたわけです。怒られていたといえば聞こえはいいですが、子ども時代の僕からすると、「こいつは常に自分のことを攻撃してくるヤツだ」という認識しかありませんでした。
しかしながら彼が父親であったのも事実。こいつに頼らなければ生きていけないのである。ということもわかっていたのでなんとか好かれよう、好きになろうとしていた気がします。
悪夢のバースデー

あの日のことは決して忘れません。
あれはたぶん5歳か4歳の誕生日のときだったと思います。
僕は誕生日の「あるイベント」にとても期待を抱いていました。
それは、ケーキのロウソクを一気に吹き消す!
あれは、子供の僕からみた時に相当魅力的な一大イベントでした。
あれをしたらきっと気分爽快に違いない!!ゼッタイにやりたい!!!
そう思って迎えた誕生日でした。
待ちに待ったケーキタイム。
ケーキの上にロウソクを立てた父親は、一言「一本ずつ消せよ」
そう言いました。彼の手にはカメラ。
写真を撮ろうとしていることは明白でした。
しかし、僕の頭の中は「ロウソク一気に消したい!!」という願望でいっぱい。
一気に消したい!という欲望に身を任せ、僕はロウソクを一気に吹き消したのでした。
次の瞬間飛んできたのはものすごい怒号と黒い物体。
「テメエ一本ずつ消せっつったろうがぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
これくらいの勢いでその威嚇と同時にカメラが投げつけられていました。
カメラは水切りのようにケーキに命中したあと僕の方へバウンド。
何が起こったのか僕はよくわからないでいました。
たぶんビックリしすぎて泣くこともできていなかったと思います。
ただ呆然としていました。
そのあとどうなったかの記憶はあんまり覚えていません。
ただ、「自分はやりたいことをやってはいけないんだな」という教訓を得た瞬間だったような気がしています。
それからなのか、もう少し前からなのかわかりませんが、僕は父親の言いなりになっていないといけないんだ。と、ずっと思っていました。
自分の意思で行動すると必ずと言っていいほどに
バカ
無理だろ
やめろ
なんでそんなことするんだよ
だからバカなんだよ
みたいにとにかく頭ごなしに否定されていたからです。
僕はなにもできない人間だからダメなんだ、と自分でも思うようになっていきました。
一方、彼の言いなりになっていれば、特に否定はされませんでした。
子供時代の僕なりの、生存戦略だったのです。言いなりになるということは。
そして当時から、否定され続けていたおかげで、自分を否定するのが一番得意なことでした。
自分に対して、バカ、アホ、何もできないヤツ、うんこ、死んでもいいヤツ、みたいな子供なりの語彙力のない全力の全否定を、自分にたいして気がつけば投げかけていました。
再婚

今思えば、あのとき嫌だと言えていたらどれだけ自分の人生良くなっていただろう。
と、今でも考えてしまいます。
父親が再婚すると言い出したのです。
フィリピン人の歳下の女。
いかにもって感じですよね笑
何度かフィリピンに連れていかれ、彼女と彼女の家族と会いました。
なんかしらないけど日本以外の国や文化に興味はあったので、外国に行くのはまぁ楽しかったですね。
しかし、ある日「あの人と結婚していいか?」
と聞かれたのです。
当時まだ小学生の低学年かそこら。
自分の意思を表明すること=親から自分を攻撃されること
のようにプログラムされていました。
完全な言いなり人間が既に出来上がっていました。
「本当は、なんかビミョーなんだけど…嫌だと言ったらまた攻撃される!それはヤダ!」という恐怖が勝ってしまい、
仕方なくイエスと言ってしまったのです。
しかし、最初のうちは、父が再婚してからの生活は楽しいものでした。
最初のうちは彼らも仲良くしていたし、旅行に行ったり買い物に行ったり楽しくすごしていました。
しかし、だんだんと「あれ?おかしいな・・・」という点が目立ってきました。
まず、父が再婚した相手はまったく家事をしない人でした。
掃除しない、洗濯しない、片付けしない、たまに超絶気合いの入った料理をして片付けをしない、なんにもしない人でした。
おかげで家は荒れ放題。
洗濯物も食器も常に山積みになって放置されていました。
しかも、食器も服も洗わないので、着るものも食器もやがてなくなります。
そこでなんとも恐ろしいことをしていたのです。
着るものがなくなると新しい服を買い、
食器がなくなると新しい食器を買うという
愚かなことこの上ない暴挙に出ていました。
父はそんな彼女を責めるでもなく、とがめるでもなく、何でも買い与えていたようです。
自分にもっと勇気があれば、一言「これはおかしい」と言ってやれたかもしれませんが、
自分の意見・意思を表明することは自らを危険にさらすことと同義であったため
僕は自分のことをただ守ってなにも言えずにいました。ああ情けない。
父は若いフィリピン人女にに完全に籠絡されていました。
子供の目からみても明らかでした。
新しい家を建て、庭にたくさんの植木、植物も植えさせていました。
しかしなんの家事もしないヤツが庭の手入れや草木の世話などするはずもありません。
当然全て枯らしてしまいます。
枯れたらまた新しいのを買ってきます。
そうやってどんどん金を使っていたのでしょう。
愚かなことこの上ない。
そしてじきに妹が生まれました。
これがまた、僕の生活をいっそう惨めなものにしたのです。
自分以外はみんな敵

妹が生まれました。それはうれしかった。
しかしこれも自分の立場を一層弱くするものでしかなかった。
妹はかわいかった。最初は。近づきたかったし一緒に遊びたかった。
しかし、一緒に遊んでいようが、一緒に遊んでいまいが、赤ちゃんは泣く。小さい子は泣くものです。
そして妹が泣くと、必ず僕が悪者にされるのでした。
なにやってんだバカ!!
いつもこれ。
一緒に遊んでいて、自分がなにかしたわけでもないけれども、よくわからない理由で赤ちゃんは突然泣き出す。
すると悪者にされる。
同じ部屋にいて全然別のところでテレビをみている。妹が泣きだす。
すると悪者にされる。
なんで・・・?
なんでなにも悪いことしてないのに自分が悪者扱いされなきゃいけないの・・・?
いつもこう思っていました。
いつからか、自分を守るために、僕は家にいる間はとりあえず部屋に閉じこもりでないようになりました。
親たちは虐待にも思える「厳しいしつけ」で他の兄弟を教育していました。それも怖かったです。自分がなにか言ったら、それはおかしいとか、もっと優しくしてあげなよ、とか、言ってしまったなら自分がああいう目に遭うんだと思うと僕はなにも言えませんでした。
いつも、
ここにあるのは「家」だけだ。
「家庭」っていうものはテレビの世界の中にしかないんだ。
今は耐えるしかないんだ
って思ってました。
優しさって家族の間ではなりたたないの?愛情ってないの?
いつも疑問でした。いつも疑問に思っていましたがいつもあきらめるしかないんだ、って自分に言い聞かせてきました。
ただ、唯一救いだったのは僕は祖父母と暮らした時間が長かったことです。
父が再婚する前は、彼が仕事に行っている間は僕は祖父母と生活していました。優しい祖父母。彼らには本当に感謝しています。彼らのことを愛しています。
世の中の優しいことや良いことはじいちゃんとばあちゃんに教えてもらいました。
そのおかげで、世の中には良い人もいるし良いこともある、って思いながら生きてこられたのだと思います。
自由意志との出会い

高校までは実家暮らしだったため、ひたすら家族と距離を取り続けるしかありませんでした。
しかし、そんな僕もやっと自由を味わえる時が・・・
それが、大学時代です。
自分の意思を持って行動していい、自分の意思を持って表現していいんだ!
ということはとてもうれしかったのを覚えています。
しかし、あらゆることに関して親の言いなりで生きてきた僕。
いきなり自由に生きていい・・・となっても、自分が何をしたいのか?
はっきりと決められるはずもなく、ただなんとなくで就職をしてしまったのでした。
ひたすら迷子だった社会人時代

初めて入った会社では、僕は衝撃を受けました。だって、誰も挨拶しないから。
会社に入って、「おはようございます」って言う。すると、沈黙が返ってくる・・・
「これ、おかしいよね?社会人の常識だよね。朝の挨拶をするっていうのは」
そんなことを考えていました。しかし、それも僕のエゴでしかないのです。
正直言って給料は良かったです。今思えば、あの会社を辞めていなければもっと楽な暮らしができていただろうなあと思うのですが(なんか後悔しかしてないっすね、自分w)
あの頃の会社はほんと異常だと思った。たくさん異常だと思うことがあった。
朝・・・誰も僕に挨拶を返さない。誰も自分をコミュニケーションの対象として見ていないんだ・・・と思う。
業務中・・・ひたすら沈黙。誰もしゃべらない。お通夜のような沈黙。毎日毎日沈黙に耐える。しかし下っ端なので電話は取らなければいけない。電話の音が沈黙に鳴り響く。下っ端の僕が電話に出る。自分が喋ってる声がみんなに聞こえている!聞かれている!また何か否定される!という恐怖。それで余計に喋れない。余計に緊張する。
時間を守らない人が多すぎる。10時始業のはずなのにフツーに12時とかに出勤してくる人がいる。でも上の人はなにも言わない。なんで?10時始業だよね?そういうルールなんだよね?守れよ。という思い。しかしそんなこと仕事が何もできない自分が言ってはいけないんだと思いひたすらガマン。
なんか雰囲気的に自分は意見を言ってはいけないような感じを感じていた。やはりここでも、大人は自分を言いなりにしたがるんだ。自分の意思を持ってはいけないんだ。表現してはいけないんだ。自分以外をどんなときにも優先させなければいけないんだ。という考えでいつもいた。ガマンの日々。
注意力を求められる仕事だったため、とにかくミスしまくっていた。字が1つ違うと呼び出され、直す、するとまた同じ書類に日付のミスがありまた直す。しっかり見直ししたつもりでもミスがたくさんあって毎度毎度自分を責める。お得意の「自分は能無しでダメな奴だ」っていうのをいつもしていた。しない日はなかった。自分はたぶん発達障害なんだと思っていた。
残業が正義である、と言わんばかりの残業文化がそこにはあった。夜遅くまでいるのは当たり前。新人が早く帰るなんて言語道断。新人は最後まで残ってろ。という無言の圧力。そしてある日残業が嫌だったので朝早く出勤した日があった。先輩の一人がたまたまイベント準備かなにかで早く来ていた。僕の姿を見るなり「お前こんな早く来なくていいから夜もっと遅くまで残ってろよ」と、一言。やはりここは何かおかしい・・・そう思いながらも、自分の意見を表明することは他人から攻撃されることだと思っていたので、いつも我慢。
毎日毎日、
- なにかがおかしい
- 何かが変だ
- しかし自分は能力もないのだから我慢するしかないんだ
これがぐるぐる頭の中を回っている状態。
この会社は、ほどなくしてやめた。そしたら収入が激減した。
なぜ瞑想を始めたのか?

そして超絶キビシイ営業の世界に飛び込んでしまった。何かを勘違いしていたんだ。完全に正常な判断能力を失っていた。
しかしある意味営業という仕事をしていなかったら、僕がこうしてマインドフルネスに出会うこともなかったでしょう。
営業職をするなら、心理学や催眠術を知っていたら、余裕で成績アップだ!などと勘違いしていましたw
心理学についてひたすら勉強していた日々・・・
とある動画で学習していたときに、
「瞑想は意思力を司る前頭葉を鍛える。前頭葉を鍛えるとネガティブな感情に強くなる」
てなことを学びました。
当時、というよりも生まれた時からずっとハイパーネガティブパワー全開だけどどこかあきらめきれないところがあった私は
「おお!だったら瞑想するしかいないやんけ!」
と、あっさり単純に瞑想を始めましたw
マインドフルネスという概念を本格的に学び始めたのはしばらくしてからの話。
その後、営業職の仕事が全くうまくいかず、半年間売り上げゼロ。
精神的に追い込まれ、なにもする気力が起きないでただ家に引きこもる日々。
自分は仕事もできないし、価値のない人間だし
ああ・・・もうこのまま死んでもいいんじゃないかな
というところまで落ち込んでいました。
しかし、瞑想だけは自分のメンタルを鍛えるんだ!と意気込んで続けていたのです。
ある日突然、歩いているときに、ふと全ての知識がスゴイ勢いでつながる感覚を味わいました。
そして、自分はどんな悩みにも悩まされる必要がないんだ!
ということに気づいたのです。
たぶんアルキメデスだったら間違いなく「ユリイカ!」と叫んでいることでしょう。
でも本当にそれくらいの衝撃がありました。
そして思い出したのです。「僕は平和が好きなんだ」と。
小さいころから親に否定され続けいじめられっこ気質で常に虐げられている側の気持ちを味わっていた僕の願いはただ1つでした。
平和に生きたい。
穏やかに生きたい。
ただそれだけ。荒れ狂って怒り狂って争って何かを勝ち取ることこそが勝利だ!
と、言う人ももしかしているかもしれません。
しかし争ったり怒ったりすることって必用以上の、もしかしたら不必要なエネルギー使いませんか?
余計なエネルギー使わなくてすむなら、使わないほうがよくないですか?
誰も傷つくことなく済むのであればそのほうが良いのではないでしょうか?
ただ平和に生きたい。
そしてそこには自分が愛されていたかったという叶わなかった願望が隠れているのでしょう。いやきっと愛情は受けていたかもしれないけど、それを伝えてもらった覚えは全くない。そしてそれによって子供が心に負う傷というのは計り知れない。
心に傷を負ったこどもが他人に対して、自分たちの子供に対して愛情表現をきちんとできるか?
その先に平和はあるか?
考えたときに、大人が平和な心を持っていなければ、当然子供たちも平和な心を持って成長できないだろう。という結論になりました。
平和な心というのは、みんながお互いに愛情を示し自分を表現し合うことに対して自由に開かれた心だと思います。
そのような世界が少しでも広がったら、世界中がそのように平和な心を持つ人でいっぱいになったら、どれだけ素晴らしい世界になるだろう・・・
そう思い、そんな世界を本気で作りたいと思いました。
きっと僕みたいにつらい思いをして自分を痛めつける人もいなくなるだろうと思います。そう信じています。
マインドフルネス×心理学×脳科学

これがぼくにとっての起爆剤でした。
マインドフルネスの原則の1つ、「価値判断しない」は「愛」であるとダライ・ラマ氏が言っているのを、後になってしりました。
自分の信条に根拠を持てた瞬間でした。
長年、自分はダメで能無しで自分を表現する権利もない人間のゴミだと定義して生きてきたので、自分の意見が人に聞き入れてもらえるなんて信じられませんでした。
だから僕は勉強をつづけたのです。
瞑想とマインドフルネス、禅の考え方だけでなく、哲学者の思考、心理学や脳科学のエビデンス・・・様々知識を得ました。
それらはすべて「他人の力を借りる」ためだったのです。
自分には自信も脳能力もない。しかし、世界には自信も能力も実績も持ったスゴイ人たちがいる。もしくは、過去に生きた人でも誰もがみとめるスゴイ人がいる。
その人たちの力を借りて、少しずつ、ボロボロの自分を補修していきました。おかげで今では人に対して自分の話をすることもできるようになりましたし、自分の行動に意味を見出せるようになってきました。
現在はたいていのことにはイライラしませんし怒ることも悲しむことも落ち込むこともほぼなくなりました。自信を失うことは非常に頻繁にありますが、そんなものは自分の資質を変化させるっものではないという確信もあるので、見つけたら捨てています笑
さて、ここまで読んでくださった人は少なからず僕のことをわかっていただけたと思います。
繰り返しになりますが、僕は平和な世界を作りたいのです。
そのために、社会を回す大人が平和な心を持つ必要があるのです。
そのために僕は少しでも多くの人に、日常の中でちょっとした
- 自分の弱さ、強さ
- 人間の世界のこと
- 人間が生きていることの意味
に関することに気づいてもらって、マインドフルネスや人間の本質に近づいてほしいと思っています。
そうしたら、本当に、人生であなたを邪魔するものは何にもなくなるのです。
どうかこんな僕でも嫌いにならず今後もお付き合いいただけたら嬉しいです。
まとまったかな?笑
またTwitterや動画でお会いしましょう!
See you next time!
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